絶筆のSF作家。伊藤計劃の一部を語る。

絶筆のSF作家。伊藤計劃の一部を語る。

「生きる」という至極当然の現象の中で発生する「死」という世界への入り口。

それぞれの私たちは、その世界へ向けて確実に日々歩いている。

「死」。

それ以外はすべて生きるに該当し、死にたいという希望は死に該当しないのも当然のことである。

 

死とは何か――。

生きる以外のことである。

 

死は見えるか――。

見えるのであれば死んでいるかと。

 

死を書けるか――。

見えるものではないので書こうにも書けない。

しかし、死を思うこと。死を近づけることで書くことができるのではないか。

 

その死というものに対し肉薄しようとしたのが、伊藤計劃という作家だと私は考えている。

死を思うことで、死と寄り添うことで、死に近づき見つめることで、SFという世界で死とは何かを捉えようとしたのではないかと思う。

今回の記事は、初の小説家ジャンル。

にも関わらず、死という暗いテーマを取り上げた理由としては、是非読んでもらいたいと思うからであって、この小説家は凄い!と胸を張って言い切れるからである。

ただ、私の熱量を言葉に還元して伝えることが出来るのか不安ではあるけれど、少しでもこの熱を伝える気持ちで書こうと思う。

 

伊藤計劃とは

1974年10月14日に生まれ。

2001年夏、癌が見つかり9・11を病室で知る。

2005年6月、左右の肺の転移が見つかる。

2007年6月、「虐殺器官」で作家デビュー。

 

 

2008年12月、「ハーモニー」を刊行。

 

2009年3月、未完の30枚の原稿を残し絶筆。

2009年3月20日。肺癌のため長い闘病生活の末、齢34歳という若さで逝去。

絶筆の30枚の原稿用紙は、芥川賞作家であり伊藤計劃の盟友、円城塔がそれを引き継ぎ、「屍者の帝国」として昇華させ刊行されている。

 

 

後にこの3つの作品は「伊藤プロジェクト」という名前で劇場アニメ化され、逝去されてもなお伊藤計劃の名は広がるばかりである。私が伊藤計劃の小説を知ったのもこの頃である。その頃からすでに「夭折の作家」や「伝説の作家」という代名詞が世の中に認知されていた。

 

作品紹介

伊藤計劃という人物については、他のトップブロガーの記事の方が参考になるだろう。

若しくは、本人の「第弐位相」というブログを閲覧するのもありなのではないだろうか。

私自身、伊藤計劃の著書である全5作品を読了している訳ではないので、はっきり言って紹介するには不完全だと自分自身でも思うくらいだ。しかし、心は書きたい気持ちを抑えることが出来ず、どんな著者よりもまず初めに紹介するのはこの人だ。と思うことから書く訳である。

この人の作品はマジで素晴らしいですよと。是非読んでもらいたいと。心の底から思う訳である。

だから、私は私の目線で長編の2作。「虐殺器官」と「ハーモニー」という作品を紹介をし、伊藤計劃の凄さを表現しようと思う。

 

虐殺器官

表題の文庫本裏のあらすじにはこう書いてある。

 

9・11以降の“テロとの戦い”は転機を迎えていた。

先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急増に増加していた。

米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の影に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう・・・・。

彼の目的とはいったいなにか?

大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは?

現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション。

あらすじはこのようになっていますが、

ドミノピザやスターバックス、国名や内戦、民族対立や虐殺、先進国や後進国、PTSDや9・11などの固有名詞や史実に沿った歴史、クラヴィスの一人称としての書き方のせいか、SFというよりはノンフィクションなのではないかと錯覚するほどに、リアルにかつ重厚に物語は紡がれています。ところどころにSF要素が散りばめられているのですが、全体的なリアルさからもしかするとアメリカ軍は本当にこんな武器を使っているのかもしれないと思い込んでしまうくらいに近い未来で、おそらく2020年以降すぐあたりの物語が虐殺器官の時代です。

もちろん、「虐殺器官」という邪悪な名前のとおり背景は戦争で、クラヴィスの戦闘と成熟しきれていない死への倫理的な考えを軸として物語が展開されています。

 

 

私自身、「虐殺器官」という名前に惚れ、ジャケ買いならぬネーム買いしたほどに鮮烈なネーミングは、SF小説をあまり読まない自分でも歩くと同じように自然にレジに並ぶほどでした。

その結果、その表面の鮮烈さからくる内面の質の悪さがどれくらいのものなのかと、そんな勢いで読了していく訳ですが、そんな私の上から目線的な考えを大きく上回るほどの強烈な作品であって、死とは残酷でバックグラウンド豊かな文章を基礎に死が当たり前のように書かれていて戦場ジャーナリストの記事を読むかのごとく心に刺さっていった。それがクラヴィスの未熟な精神と相まって、心が揺さぶられ、「すげぇ」と声に出るほどの小説だったのです。というか、私はおそらくSFということは分かっていたにも関わらず、自分が大好きな純文学という視点でクラヴィスに寄生しながら読んでいたと思います。

また、虐殺器官は伊藤計劃にとってデビュー作なんですね。そんな情報もあとがきを読んで知り、「マジか」と衝撃が走りました。

そりゃ、宮部みゆきさんが「3回生まれ変わってもこんなにすごいものは書けない」。と嫉妬するほどのモノだよこれは。と唸るように納得せざるを得ませんでした。

私が作者側の視点で小説を語るのは大変烏滸がましいことでおかしなことなのですが、素人でもこの作品は絶対に命を削らないと書けない、若しくは命を代償にしないと書けない作品だということが分かるくらい、虐殺器官という作品は我々が目をそむけるような光景を言葉にしていますし、死に迫っています。もし伊藤計劃という人物がそういう光景を書くことになんの躊躇もしない人だったら、主人公のクラヴィスの葛藤描写をこんなに深くえぐるように書けなかったはずです。この作品は伊藤計劃という人が命を削り、死の扉を見つめ、あらゆる角度から戦争のアプローチを行った自己検証の末に出来上がった作品だと捉えています。それだけ多角的な視点・思考で一個人の伊藤計劃だけでアプローチしている訳です。すげぇとしか言いようがありません。

虐殺器官という小説は伊藤計劃が何十年もの命を捨ててまで書き上げた作品だと思います。

 

以下の太文字は自分の心に刺さった文章である。

死者の国は、ときどきぼくのもとにおとずれて、こころの表面をカリカリと小さくひっかき、そして目覚めとともに去ってゆく。

これはクラヴィスの言葉ではなく、伊藤計劃の闘病中の言葉なのではないかと考えている。なぜなら、虐殺器官の執筆は闘病生活中に書いたとのことである。すでに計劃を蝕む癌は肺に転移していることが分かり、絶対に自分の死について深く考えていた時期だと思うからである。

明日には死んでいるのかもしれないと目を瞑りながら眠り、起きるとそんな考え事すらも忘れるくらいに残っていないのである。しかし、死者の国は計劃にとって限りなく接近していることを自覚している訳である。

「――地獄からは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにあるんですから」

これも同じく、伊藤計劃本人の闘病により生まれた言葉だろう。本人にとって、地獄とはなんだろうか。おそらく死だろう。癌という病から、死から逃れることができず、頭の中で死を連想してしまうことで、それが地獄だと捉ええられるような気がする。

ここで伊藤計劃は死ぬことを拒絶して、そこから何かしら希望を掴むために虐殺器官を創ったのではないだろうか。

どれだけのモジュールが残っていれば、それが意識と呼べるのか、われわれはそれを経験することができないんです。死というものが経験できないような意味で」

これも自分を投影したものだろう。

小説の中では、母親の脳の機能モジュールのうち、どの領域が死んで、どの領域が生きているかを示すことができるそうだが、闘病の際、自分の身体のどの機能が死んでいるのか(癌におかされているのか)分かっているのだが、どのような状態になれば死んでいるのか分からないことから、死の基準として書いたのではないだろうか。

ぼくを赦さないでくれ、ルツィア。ぼくはきみに話していない山ほどの罪を抱えている。・・・ぼくは本当にどうしようもなくなってしまう。

ルツィアに対し、嘘で塗り固めている自分を嘆くクラヴィス。相手は標的ジョン・ポールの女だから素性を喋る訳にはいかず、ただただ偽り続けるしかない。

もしこれが、伊藤計劃自身だとしたら、愛する女性がいたとしたら・・。どんなに辛くて苦しいことだろうか。

終盤のジョン・ポールと共に走るシーンなんか息苦しくて・・。

自由の責任を背負う必要がある。選んだ結果としての自由を背負う必要がある

自由じゃない人間からにじみ出た言葉ではないだろうか。癌を治療することを選んだ計劃は、癌を根治する責任を負ってしまった。選んだ結果として生きることを背負う必要があると思ったに違いない。そして、それが生きるという責任ではないだろうか。と考えたのだろう。

この世界がどんなにくそったれかなんて、彼女は知らなくていい。この世界が地獄の上に浮かんでいるなんて、赤ん坊は知らないで大人になればいい。

クラヴィスの相棒ウィリアムズの言葉。

知ることで嫌になってしまう現実。しかし、生きるとは自由とは責任を負う必要がある。その葛藤を計劃はクラヴィスとウィリアムズに投影させている気がした。

これこそが罪なのだろうか。死ぬまでの時間ずっと、罪を抱えて彷徨うことが。

この文章で、計劃が罪とは生きることだということを我々に謳っているのではないか?

生とは死ぬまでの間、罪を抱えて彷徨うことだと。

 

たった幾つかの言葉だけでも、純文学に匹敵する言葉の重さを兼ね備えた「虐殺器官」。

是非とも読んで感化されて欲しいと願う。

 

 

ハーモニー

虐殺器官が大量虐殺やそれを取り巻く死を基準にした生の問題であれば、ハーモニーは生から死を問題にしたのではないかと思える。

どちらも重厚感があって、ハーモニーの方が虐殺器官よりも未来な気がする。なんだか、虐殺器官もハーモニーも世界が継続していて虐殺器官の数十年後二十年後のシステムの変わった世界を読んでいるような気がするのは私だけだろうか。

文庫本裏のあらすじにはこう書いてある。

 

21世紀後半、<大災禍>と呼ばれる世界的な混乱を得て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。

医療分子の発達で病気がほぼ駆逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。

そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した――それから13年。

死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の影にただひとり死んだはずの少女の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

 

人々の脳に干渉し、常に合理的・協調的・平和的な行動を選択させるようにするための装置「ハーモニープログラム」。

そのプログラムを使えば、人間の意識が消滅するかわりに世界の争いや悩みは消え、幸福で平和な社会が実現が訪れる。

そんな状態に意味はあるのか。生きていることに意味があるのか。平和ボケに意味はあるのか。そんな時代背景で主人公のトァンの葛藤的な物語は始まる。

人間とはなんだろうか。意識があってこそ人間じゃないのか。人間の深層心理について伊藤計劃が記した作品だと考えている。

 

自分のカラダが、奴らの言葉に置き換えられていくなんて、そんなことに我慢できる・・わたしは、まっぴらよ。

メディケアのことを言っているのだけれど、計劃自身に置き換えてみると、これは抗がん剤のことだろうか。であれば、計劃は何をまっぴらと言いたかったのだろうか。抗がん剤なんか必要ねぇ。自分の気力だけで治してみせる。とでも言いたかったのだろうか。

 

思いやりと慈しみでじわじわと人を絞め殺す社会から。

計劃自身、末期のがん患者だ。ということは、緩和ケアを経験していることだろう。本人もリアルタイムのブログに闘病していることを明かしている。その時の実体験が言葉になっているのだろう。

一番大切なのは、自分の命だという感情を、解放してください。

当たり前の生きるという状況の中で、頑張って生きるとは非常に難しいことだと思う。

死に問う。というよりは、生きるとは何か?ということを考えさせられるSF小説だと思う。

伊藤計劃が、緩慢な日常を送る圧倒的多数の人類に対し、警告を送っているようにも捉えられるにも思えた。

 

 

最後に

こんな作家がいるなんて思いもしなかった。伊藤計劃を超える作家なんているのか?

なぜなら、彼が死に最も近づいていたからだろう。だからそちら側の世界に沿って書けたのかもしれない。

 

彼のブログ「第弐位相」の更新は2009年1月7日で止まっている。

最後のタイトルは「今年も宜しくお願いいたします」という題名だ。内容は生存報告として、昨年末からの治療状況とハーモニーを仕上げたことで無気力状態が続いていると書いてある。虐殺器官のあともそうだったらしく、それだけ心や身体などの命が削れられて作品を創り上げたのが伺える。近況の最後には社会復帰を望む言葉がしたためられており、その願いは叶わずに絶筆する訳であるが、驚くべきことは、このブログが停止して10年になろうとしているのに、生きているということだ。

この記事のコメント欄をクリックする。

そこには私のように伊藤計劃を惜しむ人からのコメントが寄せられている。

そこには、私のように小説から此処へ辿りついた人と、メタルギアソリッドから辿りついた人(彼は「小島原理主義」を名乗るほどにメタルギアソリッドファンだったようだ)に分けられるが、今もなおコメントが増えているという事実は、伊藤計劃の作品がどれも圧倒的に優れているからではないだろうか。

 

 

 

 

つまり、歴史に名を刻んだ証拠ではないだろうか。私の心に命に刻まれたように。小説・映画。そういう類のものがネットワークというモノを媒介にしたものでもなんでもいい。そこで伊藤計劃という人物を知ることになったのであれば、それはあなたの心に何かが心に刻まれる瞬間である。

そんなことを考えながら、私は伊藤計劃の作品を知っているちょっとだけ先輩として心待ちに待っている。

 

 

読んで頂いた方へ感謝を

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