酸欠

酸欠

引退したバレー部に顔を出してしまうと、やっと枯れ果ててくれたカピカピの心の土壌に水を与えるような行為になりそうで行ってはダメだと思った。行ったら最後。そんな心の土壌に熱という名の萌芽が生まれて苦しくなってただ辛く感情が重くなる。ただそれだけだ。今日の安定だけのために、後遺症になるような重たさは欲しくないと思った。

今はもうあの頃には戻れない。もうあの空間は二度と僕のモノにはならないのだから。

とりあえず、時間を潰す選択肢の一つをひねり潰してみる。

 

一つの選択肢を消してどうしようかと考えていると、鞄の中に小説が入っていることを思い出した。装丁に見惚れて図書室で借りただけの小説で、きっと中身も絶対に面白いはずだと予想して読み始めたものの主人公の自問自答の多い小説で理解できない思考ばかりで全く共感なんかできないし、物語に起伏のある展開もなくて面白くなかった。

この本のジャンルを純文学というんだったっけ。だったら僕は純文学よりもサスペンスやミステリーが好きだという発見には繋がったけれど、半分より少し手前の読みかけのそれ以降のページをめくるこができず、昨日の夜から鞄の中に常にあるノートや筆箱と一緒に埋まっていた。返却期限まであと4日はあった。きっと暇を持て余している僕はそんな本でも最後まで読んでしまうだろうけど、ページを開いて読み進めることがひどく億劫で今というタイミングでは読みたくはなかった。

そういう理由で読書という選択肢もひねり潰してしまった。

その後、いくら暇を潰す選択肢を考えてみてもプランなんて一つも浮かぶことがなくなって、とにかく僕は時間を持て余していた。おそらく、日本の高校3年生の中で最上位にランクインするくらいに時間を持て余している気がする。そんな高校3年生の10月。

今まで生きてきた高校生活の中で極端に絶望的に楽しくなかった。

 

それには理由がある。

僕の高校では珍しく就職という進路を選んだ僕はすでに会社から内定を貰っていて、あとは卒業するだけとなっていた。だから、高校へ来る必要があるのかと思うほどに登校する意味を僕は無くしてしまっている訳だけど、家でダラダラするよりは学校に来たほうが楽しいから来ているだけであって、それでも学校は退屈で何もなかった。

バレー部の奴らもクラスの奴らも、今までの学校生活で仲良くなった奴らも、みんな受験勉強で忙しいし僕の放課後タイムに構ってくれる男友達なんてひとりもいない。なにより、そんな奴らの目は羨ましいほどに輝いていてなんだか嫌になる。僕の目はきっと死んだ魚のような目をしていることだろうよ。今まで一緒に居眠りをしていたクラスの奴らは対策授業を真剣に受けているし、休み時間は受験の話や模試の結果の話ばかりだ。その事実は僕という存在を学校ぐるみで疎外しているような気がして、進路が決まったことで誰よりも高校生活の集大成を勝ち得た開放という名の優越感よりも努力している奴らの邪魔は絶対にするなという仲間外れという名の疎外感が優越よりも大きく上回っているのが現状じゃないかと思う。

 

目を瞑った状態で机に顔を伏せ、聞きたくもない考えたくもない現実をどうすれば回避できるか。そんな可能性を考えていたけれど当然のように思い浮かぶこともなく、そんな時にスマホが一瞬だけ震え、画面を覗くとココロからのラインで「友達と自習して帰るね」と表示されていて、今までのダラダラとした選択肢すらどうでもいいくらいの絶望に浸されてしまった。今日もかよ。それなら先に言えよ。今までの希望が勿体ないじゃねぇか。ココロに苛立つ自分がいる。実際のところ、ココロだからそれが許されている訳でココロじゃなければ許さないと思うレベルだ。

ココロからのたった一行の文章の文末に手を振るようなマークが句読点の代わりになっていた。

このマークの意味を何種類か考えてみる。またね。バイバイ。また明日。また今夜。それともただの意味のないマークか果てはさようならという意味なんだろうか。どんな意図を込めてココロが選んだのかわからないけれど、もうどうでもよくなってきたよ。これで何度目だろうか。というか、10月に入ってから一緒に登校も下校もしていない。要は先に帰っていいよ。先に帰れ。ということだ。

 

一緒に学校に登校し、一緒に学校から帰る。出身中学は違うけれど最寄り駅が一緒という共通点があったおかげで、付き合ってからはほとんどの登下校を一緒に喋りながら歩くようになっていたのに、受験勉強に集中したいからといって二人が唯一付き合っていると証明出来る通学という行為はなくなってしまっている。

そんな今まで呼吸のように当たり前で睡眠のように同じくらい普通だった決まりごとは今となってはお互いのベクトルが違い過ぎて普通ではなくなってしまっていた。それが今の普通なのかもしれないけれど、そんなの僕はごめんだった。

もちろん僕は僕で今の状況を理解しているつもりだ。彼女は福岡の国立の大学を目指していて、絶賛猛烈受験勉強中だ。9月に受けた模試の結果が悪くて志望校の判定ランクを一つ落としてしまってから急に張り詰めたように勉強に対する態度が変化した。彼女はそれくらい熱を入れて勉強に取り組んむようになった。朝は朝で早く教室で受験勉強をするために僕よりも1時間くらい早い電車に乗り込み、帰りは毎日学校で遅くまで自習して帰るようになった。

僕といえば、ココロを支えることも出来ずにオロオロ右往左往。いや、右往左往さえ出来ていないと思う。ただココロの24時間という1日の振り分けのうち、勉強のシェア率が上がって、僕のシェア率が下がってしまって、僕の方は内定が決まって暇になってココロのシェア率が上がってしまったことで、窒息しそうなくらいの息苦しさと悲しさを患っているだけだ。

僕はいつになればココロの生の声を聴くことができて生の声と生の声で喋ることが出来るのだろうと考えてしまって苦しくなる。僕とココロは隣の隣の教室という距離なのに、偶然遭遇する以外にコミュニケーションをとれる術を持ち合わせていなかった。

僕という存在が邪魔になってはならないと思っているし、少しでも足枷であってはならないと思うし、足枷になるようなことをしてはダメだと思っている。むしろ逆にココロの背中を押すような存在であるべきだと思っている。だけど、背中を押すという行為そのものがココロにプレッシャーを掛けている気がして、どう接していいのか全く分からずにいる。

「オッケー!勉強頑張ってね」。それが僕の返信した文章だ。文末の句読点の代わりに笑顔のマークをつけて返信する。きっと今日はこのラインのやり取りで終わりだろう。そして明日も明後日もきっとこんな簡素な単発の電子と電波の繋がりだけで終わってしまうのだろう。そう先のことを考えると心が張り裂けて血が流れるような痛みがする。心の傷だから痛覚なんてないのだけどそんな気持ちだ。これまた当たり前のことだけど、この笑顔マークの裏の顔は泣きそうな顔になっていることをココロは絶対に読み取ってはくれないだろう。僕が彼女のバイバイのマークを読み取ることができないことと同じだ。相手がどんなことを考えているのか分からなくて苦しい。当然のことなんだけど。

 

 

悲しい感情から激しく妬ましい気持ちに変化していく。この衝動。これは僕のわがままだろうか。

僕は今、君にとって何なのだろうか。僕という存在が荷物であるのならば、別れるという選択肢や最初から登下校しないルールを決めていて欲しいと思った。それはそれで悲しいことだけど、今のように心が無駄に飼い殺しにされるよりは全然マシだと思う。なんだか腹が立つ。そんな考えや考えること自体もシャットダウンしたくなって、それ以上込み上げるような感情の扉を塞いで自分なりに鍵を掛けてみる。もし今度同じ気持ちになるようだったら僕の心が弱いだけだ。ココロは頑張っているんだから応援するべきだろ。なぁ、そうだろ。そう思うことに決め込む。僕は学校に居座る理由が一つもなくなってしまったから、椅子から立ち上がって不必要な鞄を持って教室を出る。

 

廊下に出て階段を降りようとすると、フカセのいる受験組の群れと鉢合わせした。億劫な気持ちを吹き飛ばすように、ひょろひょろで手足の長いフカセの後ろ姿に近づき、その背中の左肩を標的にして軽く右肩でぶつかってみる。フカセは一瞬驚いたけれど、すぐに僕を認めて「あっ暇人だ」と笑った。

「今から帰ると?」

「うん。フカセは?」

「今からみんなで勉強するとこ」

「息抜きに釣りにいかん?」

「絶対嫌だ。絶対行きたいけど!」

「どっちや!」

「やっぱり行かん」

「釣れたら写メおくるよ!」

「いらんいらん。釣れんかったら写メちょうだい」

「どんな写メ送ればいいとやっ!」

そんなことを言い合って、バイバイと手をひょいとあげて目の前の階段をつま先だけ着地させながら、ふくらはぎがバネのように震えるのを感じながら降り、玄関で上靴からローファーに履き替えて校舎の外に出た。空は晴れていて風はあまり吹いていない。釣り日和だなと心の中でつぶやいて、自転車置き場まで歩いて自転車に乗り正門を出た。

 

今まで部活があったからだろうか。こんな時間に帰るという行為に未だに慣れない僕がいる。周りは1年生2年生の帰宅部だろうか。みんな運動できないような顔立ちをしていた。

自転車にまたがりペダルを3回4回と踏んで推進力をつけて正門を右に曲がり、そのままペダルを回さずに残った推進力と少しだけ下り道という余韻だけで進みきり。また右に折れる。曲がってすぐにイヤフォンをポケットから取り出して耳に挿し込み音楽を鳴らした。なるべくライブに行っている気分になりきってアジカンの音楽を聴きながら思考を鈍くするようにして、駅に向かってペダルを回していく。イヤフォンの中からはアジカンの無限グライダーが大音量で流れている。そのテンポに感化されるように心だけはアジカン色に染まっているけれど、脳の方は冷静で思考することを止めてはくれなかった。

 

僕は孤独の使い方を知らないとふと思った。

だからなにをして時間を潰せばいいのか分からない。分かっていない。だから時間が経過するのがいつもより遅い。今までの僕の横にはココロやバレー部がいつもいたし、釣りではフカセがいた。僕という人間は常にそんな集団の中に溶けて喋っていた。そこには確実に僕がいたという記憶がある。そんな自分という人間だからだろうか。孤独に慣れていない。なんだか孤独は無駄に考えることが多い。そんな今を生きている僕は孤独が苦痛でたまらないほどに苦しい。

 

それでも、今はそれが必要なことだと思って受け入れている。だって、この苦痛が社会に出て必要なモノの一つとして考えているから。

僕はあと数カ月もすれば就職で大阪に行くことが決まっている。それに福岡に戻るつもりは今のところない。きっとこれからは僕ひとりだけで生きていかなければならない。そうしたくて大阪を選んだ。もちろん、大阪以外にも選択肢はあったけれど、具体的な理由なんて一つもないけれど漠然とただ大阪に魅力を感じて選んだ。

逆に福岡から出たい理由ならあった。家族から離れたかった。友達から離れたかった。あらゆる繋がりから離れてゼロになって一人で生きることに焦がれていた。それで選んだ就職という道。きっと僕個人の人生の中で初めて人生に左右する大きな分岐点を決めた気がする。だから孤独に慣れていくことが必要だと感じる。それが大人になることだと思う。僕という人間はいきなり高校生から大人になる。少しでも大人になりきれるように今のうちに子供のような考えは捨てたい。捨てておかなければいけない気がする。

 

あれ?と思う。行き過ぎた考えかもしれないけれど、改めて再認識したことだけど、僕はどうやらいきなり大人になってしまうようだ。何度も考えたけれど、きっとそうだ。僕はしばらくの春休みというモラトリアムを経て、いきなり大人になるようだ。

けれども、大人という定義は今の大人なようで子供の分際の高校生という僕では分からないし、どうやって大人になればいいのかなんて分からない。思考力をあげようと思って小説を読むようにはなったけれど、大人が分からなくて、けれども大人になるわけで。とにかく就職するということはそういうことだと思っている。

 

駅の駐輪場に自転車を停めて改札へ入る。目の前の線路の先には田んぼが見渡す限りあって、ここにイオンやマンションが建つ予定だと聞いたけれど、全くそんな気配がどこにもなかった。普通列車が到着するアナウンスの後、すぐにやって来た博多駅行きの電車の中はスカスカに空いていた。

椅子に座ったことを拍子に学校の帰りに偶然出会ったフカセに釣りを誘ったことを思い出して、その記憶に引っ張られるように半年以上釣りに行っていないことを思い出した。

僕がバレー部を引退する起点となったインターハイの数カ月前から今の今まで。かなり釣りから遠ざかっていたことを思い出した。インターハイまでは練習に明け暮れ、引退してからはココロやバレー部の仲間たちと遊ぶ時間に時間を割いていてすっかり忘れてしまっていた。

適度に釣りに行かないとストレスを感じてしまう体質だと思っていた僕にとって、この事実は意外だった。けれども、釣りのことを考えてしまうとやはり行きたくなる。電車の車窓から浅い川が見える。ここにはバスは住んでいないだろう。そう思った。僕は大人になっても釣りをやるんだろうな。そんな漠然とした確信は持っているようだった。

釣りに行ってみようかな。という淡い期待だけの考えは、自分が下車する駅に到着した時には一人で初めて行ってみようという決定事項にまで成長を遂げていた。さっそく家に帰って準備に取り掛かった。準備を終えて出発しようとすると、母ちゃんに玄関前で声を掛けられた。

「あんた、今から魚釣りね?」

「あー。うん」

「学校から終わって釣りってなんば考えとるとね?」

「久しぶりの釣りやけんいいやん」

「釣りのどこが楽しいとね」

「ようわからん。でも釣りに行かな死ぬ」

「就職決まっとるっちゃけん、怪我したら許さんけんね」

「はーい」

進路が決まっていなければ怪我していいのか?と思いつつも、日が暮れるまでには帰ってくると言い残して玄関を飛び出した。

自転車に乗り、最初の目的地の釣り場へ向かう。ペダルを踏み続けながら自分の言った「釣りに行かな死ぬ」という言葉を反芻してみる。

釣りとは楽しいものだとは思う。けれど、母ちゃんに冗談で言ったように行かなければ死ぬくらいのレベルなのだろうか。確かに釣りに行きたいという日常の小さな思いが募り溜まって、それが溢れるか溢れる前に釣りに行く。という行動に発展しているのは間違いない気がする。

けれども釣りに行かなければ死ぬという理由にはならない気がする。そんなことを考えていたけれど、どんどん釣り場が近づくにつれてそんなことを考えることすらどうでもよくなってそんな疑問すらいつの間にか忘れてしまっていた。30分ばかりペダルを回して住宅街の中にポツンとある野池にたどり着いた。去年の今頃爆釣したポイント。先行者はいない。きっとプレッシャーはないだろう。今日はラッキーだ。

池の正面はコンクリートの土手になっていて、その左側は森になっていて木々が水面を引っ掻くように覆うように剥き出しになっている。その下は1mくらいの水深があって、バスの絶好の隠れ家になっているようで、昨年はワームだけで半日で二桁のバスを釣った記憶がある。この池のポテンシャルを引き出したのはフカセだ。今年の夏、あいつは物凄い数の蚊に刺されながらも50アップのバスをここでキャッチしている。

 

昨年爆釣したカットテールのワームを選びフックにセットする。オモリを付けないノーシンカーで枝にワームやラインが引っ掛かからないようにサイドスローで空気を割くようにキャストする。狙っていた地点より手前に着水したけれど、無数の枝の真下には落とすことはできた。

ワームがユラユラと左右に揺れながら沈んでいって見えなくなった。4ポンドのナイロンラインが水面に一瞬だけ浮かび、沈むワームの方のラインからゆっくりと池の中に溶け込んでいく。その途中でワームが底に着いたことが分かったのでチョンチョンとアクションさせてはゆっくりとボトムまで沈ませてまたチョンチョンとアクションさせてはゆっくりとボトムに沈ませる。ある程度距離が近づいたら回収して再びキャストしてはアクションを掛けてこの一帯を攻めていく。

そのポイントでは釣れなかったから、別のストラクチャーを見つけてはラン&ガンを繰り返し、結局この池では釣れずに移動することにした。夕暮れまではあと1時間だろうか。この池から伸びる下り坂を降りるように進んでいけば川に突きあたる。僕はこの川の幾つかのポイントを知っている。最初のポイントで釣れればいいけれど、釣れなければどんどん川を下りながらラン&ガンをしようと考えた。

 

すぐに川に辿り着いたけれど、最初のポイントで釣れず、次のポイントでも釣れず、3回目のポイントに辿り着いた。

このポイントはすぐ目の前が水門となっていて、水門の脇に農業用水として利用するための水路がある。他にも水草などのストラクチャーが多くあって、その水路の真下は自転車などが埋まっていて根掛かりした記憶があるけれど、よく釣れる場所なのを僕は知っている。根掛かりを避けるように水門と水路の間のキワ、つまり自分の真下にワームを落としてみる。

すると、ラインがゆっくりと川の中央へと走っていく。弛んでいたラインがピンと張った瞬間にアワセを入れるとドラグを鳴らして魚が逃げるように走った。

 

ロッドを曲げながら、ラインから伝わる確かな重さを感じながら、この魚がそこそこ大きいバスだと感じた。ラインが4ポンドだということもあり、ドラグ設定はかなり緩めだ。だから小さくバスでもドラグ音が鳴る。根掛かりしたら絶対にラインが切れるけれど、小さくても楽しいのが細仕掛けの面白いところだろうと僕は思う。

バスは何度か反転からのランを繰り返しながらも徐々に引き寄せられてきた。長いやり取りの末、ある瞬間から急に抵抗がなくなり疲れたようなバスが目の前に横を向いて水面にやってきた。普段20センチから30センチのバスばかり釣っているから、それ以上のバスが目の前にいることに緊張した。

ロッドとラインをてこの原理のようにして水中から引っこ抜こうと考えていたけれど、4ポンドのラインが切れたらと思うと無理なことはしたくないと考え直し、水中でバスの口を掴んで水中の中から引き離した。

コンクリートの土手に寝かされたバスは、明らかに40センチを越えた大きさだった。久しぶりの40オーバー。30センチクラスには感じられない威圧感がある。左のズボンのポケットからスマホを取り出して写真を撮る。スマホ越しに太陽が傾きつつあることに気がついた。けれどもそんなことどうでも良いくらいに心が満ちていた。

釣れた。しかもランカーサイズ。そんでもって真下でフォール中に喰ってきた。間違いなく僕の技術ではなく運で釣れた魚だ。

このバスにありがとうと思いながらバス持ちのまま水中へ入れて、バスが呼吸出来るように手首を左右に振るように、魚を自分の掴んでいる手で泳がせるように呼吸させてやると、一瞬で反転して僕から距離をとり、その後は悠々と急ぐように水中の彼方へ消えていった。

 

右指に付いたバスの粘液を川で洗い流して、Tシャツで拭い、すぐさま深瀬へラインする。迷ったけれどココロにもラインする。

多分ぼくは間違っている。

受験勉強に忙しい奴らにこんな写真を送りつけるのはどうかと思う。深瀬ならまだ理解を示してくれるだろうが、釣りの楽しみを知らないココロなんかはさらに意味が分からないだろう。苛立つかもしれない。そう思ったけれど僕は送信した。

 

僕とココロはきっと別れるだろう。

もう僕の気持ちは今の状況に耐えられなくなっている。きっとその方がいいと思う割合の方が濃ゆい。彼女は福岡に残って大学生だ。僕は大阪に行って社会人だ。距離も価値観もきっとどんどん離れていくだろう。そんな予想できるイメージの中で遠距離恋愛という選択を取って果たして耐えられるのだろうか。深く考えなくても分かる。現状でさえうまく出来ていないのだ。そんな二人が遠距離恋愛なんて出来るわけがない。そもそもココロ自身の気持ちはもう離れているだろう。

 

釣りをやめて、土手に座って時々小魚がピョンと跳ねる水面をただただ眺める。タイヤがアスファルトを踏む音、飛行機の音、トラックの排気音、枯れた夏草たちの擦れる音、徐々に冷たくなる風の音、知らない名前の鳥の声。釣りに行かないと死んでしまうという問い掛けの自問自答を思い出す。原点回帰だと思った。それがこの問いの答えだ。

自分が自分に戻れる場所。高校1年の頃の過去の自分。小学生の頃の昔の自分。幾つもの過去の自分たち。そんな自分たちは全て釣りが繋がっている。

唯一原点回帰できる空間。この空間には自由が溢れている。だから自由になりたいと願う時に釣りに行きたくなるのではないだろうか。そう思った。

だから今、僕は自由なんだと思った。けれど、なんだか自由と同じくらいに不安があった。

社会という世界もそんなもんだろうか。

大人とはそういう世界なのかもしれないと思った。

はやく大人になりたいと思ってワクワクした。

小学2年生の夏休み、友達とみんなで朝日が登るよりも早い時間に釣りに行ったことがある。街灯だけが道路を照らすような暗闇の、車も走らない道路を僕らは喋ったり笑いながら中央線のラインを踏むようにして自転車のペダルを回して進んだ。目的地の池についてもまだ空は暗いままで、しばらくすると明るくなって釣りが出来たという記憶なんだけれど、あの頃の僕は圧倒的な自由を感じていた。そして、車に跳ねられたらどうしようとか警察に捕まったらどうしようというような不安を抱いていたと思う。今の自由と不安は昔の自由と不安に似ているような気がした。

 

 

その帰り道。母ちゃんには日暮れ前には帰ると行ったけれど、夜が深くなっていた。あと10分くらいで家に辿り着く。そんな時になって、今の気持ちの正体がざっくりと分かった気がした。今の普通の日常の息苦しさの正体、これは僕の滲み出る寂しさなのではないかということに気がついた。

僕だけが4月になれば大阪へ旅立つ。僕だけがはっきりと明確にそれを自覚しているからこそ、どうしても日常が悲しくなるんだ。今までそれを別の感情にすり替えていただけなんだ。

僕が決めて僕が選んだ道なのに、その進む道が出来上がった途端、他の道が見つかって後悔している自分がいる。ココロのせいにして、ココロが悪いことに決め込んで、独りよがりに強がを演じているだけなんだ。

 

こんなに人を好きになったと思ったのは初めてだ。僕がこれから大人になってスレた生き方に染まってしまうのなら、僕はこれ以上の恋愛をしない気がする。ここから離れたくなくて、離れる選択をした自分が嫌になる。大阪に行きたくない。だけど、僕はそれ以外の選択肢を見つけられない。ただ、今が悔しい。絶対に会える距離なのに、自転車で数十分の距離なのに、会おうとしない自分に腹が立った。大阪に行ってしまえば現実的に不可能なことになってしまうのに。

 

なんだかすべてがどうでもよくなって、急に会いたくなって、自転車を停めて土手に座ってポケットからスマホを取り出した。画面にはココロからのラインの通知表示がされていた。

「その魚、何て名前?」

文末の句読点の代わりに魚のマークが付いていた。

「ブラックバスっていう名前だよ」

「私の受験が終わったらさ、連れてってよ」

嬉しさに痺れて泣きそうになる。僕はなんてバカなんだろうか。今まで自分で作ってきた何重もの心の膜をハンマーでネチョネチョに潰されて打ちひしがれているのに、追い打ちを掛けるようにココロから一通ラインが来た。

「あっ、でも寒いのは嫌だ。春か夏にでも行きたいな。どちらにしても大阪だね」

もういい。今までの気持ちなんてどうだっていい。

「うん。いいよ。大阪に来てくれたら奈良県や滋賀県とも近いから、池原ダムや七色ダムや琵琶湖にも案内するよ」

「え?最初はUSJに決まってるんだけど・・!」

今までの息苦しさがいつの間にか消えてなくなる。どうでもいいほどに。

僕は何故だか分からないけれど、明日も釣りに行こうという衝動に駆られた。