リライト

リライト

昨日の釣果がどうであれ、今日が昨日と同じではないということは釣人の誰しもが知っている。

例えば。昨日釣れたルアーが今日釣れる訳ではないし、例え同じ時間同じ場所同じような条件であったとしても、例え同じ何時何分何秒であっても、日が違えば全く別の世界が俺の前に現実として待ち受けている。もちろんその逆も然りだ。

今まで見たことのある形の雲がこれから絶対に見つからないように、今まで見たことのある形の波が絶対にいつもどこか違うように、この世界はどこか同じではあるけれど、緩慢で退屈なようであるけれど、少しずつ知らないところで新しく何かが違っている。それは水面の下の海の世界でも同じだといえる。もちろん俺の心も絶対に同じようで絶対に違う。

そんな気がする。

それでも。もし昨日が釣れたのなら明日も釣れるはずだと信じて釣りに行くのが釣人の性だと思う。昨日と今日、今日と明日は違うという現実を理解しているにも関わらずだ。昨日釣れていたから、今日も釣れるだろうと思って俺は急遽飛込みの予約を入れて乗船している訳だ。おそらく、これも釣人の誰しもが経験することだろう。かれこれ半年もの間、オフショアでの釣りができなかった俺が何故、今さら乗船しようとしたのかはそんな理由だ。昨日が大漁だったから。そんな理由で心が弾んだのだ。心が弾んで予約を入れたにも関わらず、今が決して釣りに行けるような状況でもないにも関わらず俺は今という現実に引き戻された瞬間から自己嫌悪に陥ってしまった。

 

出港してしばらくの間、半年ぶりに会う釣友たちと語り合った。釣友たちの活躍は目覚ましいもので、以前まで持っていた道具が真新しいモノに更新されていり、新しい釣りを見つけたり、大物を釣っていたり、そんな話で盛り上がった。俺はそんな話をただ聴くことしか出来ず、道具は半年前のもので釣りの記憶すら半年前のままで、話を聞きながら彼らに対して黒い羨ましさに心がのまれてしまいそうで嫌になった。

 

出港してからポイントに辿り着く間、会話は途切れることがなく、釣友たちは会話を楽しんでいる。俺はそんな会話の途中で馴染むことができずにノットを組むふりをして、会話の輪から離れて一人で進み続ける船から見える景色を見ながら物思いにふけった。楽しみたいと思いながら乗船しているのに、楽しみを求めて釣友たちと船に乗っているのに、全力で楽しめない自分がいた。

 

操船する丈二君が船の速度を落としはじめた。どうやら昨日釣れたポイントに近づいたようだ。やがて船は推進力の惰性を残しつつもスクリューの鼓動が止まり、俺は竿を持ってミヨシの釣り座へ歩いていく。半年ぶりの釣行ということで、釣友たちがミヨシの釣り座を譲ってくれた。そんな釣友たちの優しさですら俺は嫌になってしまう。そんな自分をうざく思ってしまう。

 

全方位に広がる波を見渡しながら、無色透明の迸る気持ちを抑え込む。制御できないのはいつものことだ。あと少しで釣りが出来ると思うと、居ても経ってもいられないような衝動が湧き上がる。ペットの犬がご主人の「待て」の合図のせいで、目の前にあるおやつをよだれを垂らしながら待っているイメージ。今の俺がそうだと思う。丈二君からのはじまりの合図がなければ俺は釣りをすることも出来ず、よだれを抑えることもできない犬のようだと思った。

 

ミヨシに着くと、目の前の数十メートル先の同じ目線の高さくらいに名前の分からない真っ黒な海鳥が横から強く吹く風を滑るようにして空中に漂っていた。その鳥は突然やってきた別の大きな風に滑空の制御を失って、巻き上げられるようにその風ごとどこかへ飛び去っていった。それを見て、なんだか俺のようだと思った。

俺は今、無職だ。

フラフラして社会に漂っているだけの人間だ。風が吹けばすぐに吹き飛ばされるだけの存在だ。あの鳥と俺を比べてみて圧倒的に違うのは、あいつは飛べて俺は飛ぶこともできずに地面を這いずるしか選択肢がないということだろう。

会社を辞める前までの俺は、辞めるという行動がこんなに人生が堕ちていくとは考えたこともなかった。だから、意気揚々と退職を選んだ。俺の送別会が企画されたけれど、殺したいくらいに嫌いな奴が参加することを知って俺はその送別会を断った。すると、後輩が気を使ってくれて仲間だけの送別会を開いてくれた。

許したくないことがたくさんあった職場だった。俺が仕事を出来るかといわれれば並だと思う。それでも必死に頑張った。耐えに耐えた。自分なりに。

そんな許したくない事が積み重なっていく日々の中でそんな事柄が少しでも許されることはなかった。どんどん許したくない事がばかりが増えていって、俺はそんな許したくない数々のことから逃げた。

それが退職という選択だった。

だから、俺は次の転職先に展望があって辞めた訳でもなく、辞めることに希望を見出した訳でもない。ただ、この会社から逃げ出したかった。苦しかった。それだけの理由で辞めた。

会社に居続けることは当然できた。けれども俺は新しい世界で生きることを選んだ。それしか考えられなかった。

あの頃の俺は両翼で飛んでいる鳥にでもなっていると錯覚していたのだろう。今までの全てを投げ出すように放棄するように飛び出しておいて、新たな世界に前よりも良い理想を求めたものの、そこに俺の居場所を作るようなことが絶対に出来ないと痛感し、転職先を4ヶ月くらいで辞めた。

そこに至って、やっと俺は飛んでいるのではなく地面を這いずり回っているということに気がついた。無職になって1週間が経った頃にそれを自覚した。

俺はその職場を辞めてから、日増しに打ちのめされるように身体が重たくなってしまった。家の中でだらだらする日々が続いた。定期的に貯金をすることをしていなかった俺の預金残高は俺のHPを体現しているかのごとく少なくなっていく。残高が少なくなればなるほど、俺が衰弱していくのを自覚した。

この残高が「0」となった時、俺という人間はどうなるのだろうか。死ぬのだろうか。救いをもとめて毎日の日課になったネットサーフィンを繰り返す。Wi-Fi回線経由でYouTuberの釣り番組が更新されているのを知り、12分程度の映像を眺めた。面白かった。面白かったけれど、この映像を作成したグループの人たちのこと、つまり好きなことを仕事にして金を稼いでいる人のことを極端に嫌いになってしまう自分がいて、それに気づいて嫌になる。そんなことにチャレンジ出来る気力も能力も年齢も持ち合わせていない自分が嫌でたまらないにも関わらずだ。

 

背中側の右半身に冷たい風があたり、その風に身体が押されてバランスが崩されたことで現実に戻った。風が結構強いなと思う。

状況は決して良くは無い。風が強いと釣りにくいからだ。強すぎると釣行すら中止になるくらい、船は雨よりも風の方に左右されると思う。

風が強い日の幾重にも揺れる波の頂点のことを白波と言うのだろうか。いくつもの波として形成されていくその波の先端が、風に煽られて白く泡のようになって同じ方向に簡単に吹き飛ばされていく。

海は青黒く、それでも澄んでおり、いつもより海が暗いのはもうじき雨が降りそうなくらいの暗雲のような曇り空が覆っているからだ。俺は雨が降ってくれたら風が少し落ち着いてくれるかなと思い、ただそれを空に向けて願った。

 

船首に立ち込み、揺れで船から振り落とされないように、自分の身体が船の一部になるように足元や太腿などの下半身をガイドにあて、どんな揺れにも対応できるように安定させる。波はそこまで高くはないが、この風のせいでそこそこ不安定に自在に揺れた。

心臓の鼓動の音が聞こえそうなくらいドクドクしている。リーダーを引っ張り、ドラグ設定をどうするべきか決め兼ねながら確かめていると、「どうぞ、始めてください」と丈二君の声が聞こえたので、お先にごめん。と心の中で言ってからジグを海底へ向かって真下に落とし込む。船がこの風に押されて海面をかなり速く滑っていることが、今僕の真下で沈み続けているラインの軌道をみて分かった。

真下に落としたはずのジグは40mくらい沈んでいるはずだけど、僕の背中の方に流れている。流れているのは俺の乗る船なんだけど、いつもそんな錯覚になってしまう。

 

昨日よりも風の影響でドテラで流すのは難しいのではないかと心の中でつぶやきつつも、昨日の情報を又聞きした僕に昨日の比較ができる資格なんてものはなく、すぐさま流されていくジグを回収して、なるべく垂直の縦を意識したワンピッチジャークをするべく、流されていく向きの反対側の方向に向かってアンダーキャストでジグを遠くに飛ばす。

水深は70m。

着底したと分かるやベールを戻してワンピッチジャークでジグを動かしつつ、それを連続的に巻き上げていく。底から30mは巻き上げたところで、ベールを起こしてラインを放出させて着底させてはワンピッチジャークを継続的にテンポよく入力していく。その間、ゆっくりとラインの軌道は垂直から背中の方へ流れるように離れていく。

ある程度の層をワンピッチジャークで海面に向かってジグザグに駆け抜けさせたあとは、手元まで回収して再度方向修正をして投入してはワンピッチジャークを繰り返していく。初回のラインの流れ方で着底は2回までしか取れないだろうと思った。あまりラインを流し過ぎると、他の乗船者とのラインが絡まってお祭りの原因になって迷惑を掛けることになるし、そうなっては釣りが中断されるばかりか、お祭り具合がひどくなるとノットを組み直さないといけない最悪の事態にもなってしまう。

それと、なるべく垂直にラインの軌道を保たないとジグがしっかりと動いてくれないと考えているから、着底回数を1回か2回に設定して一定の動作を繰り返していく。その繰り返し。その反復。ただそれだけを淡々と呼吸するようにこなしていく。

 

 

丈二君は何度もポイントを流し変えては、随時変化していく風の方向を読み取ってはピンポイントに漁礁の真上を流せるように操船していく。風が強い分、船が早く流されてしまいポイントを早く過ぎてしまうようだ。丈二君も釣りがしたいだろうに。そう思いながら、早く自分が釣って操船の責任感から解放してあげなければと思う。しかし、俺を含む乗船者のジグに魚が喰ってくることはなかった。

どのくらいワンピッチジャークをこなしただろうか。乗船者全員ヒットまでたどりつくことなくノーヒットのまましばらく時間だけが過ぎている。無言になってしまうと、なんだか釣りというよりは労働に見えてしまうのは俺だけだろうか・・。

ワンピッチジャークのリズムに変化をつけたり、しゃくる強弱に変化をつけたり、コンビネーションジャークを入れたり俺ができる試行錯誤を試したもののラインの先からの音沙汰はなかった。

そろそろカラーやジグをチェンジしようかと迷路のような試案だけがポツポツと増えてくる。しかし、俺はコロコロとジグをチェンジするよりも信頼のおけるジグをずっと使っていたい派だ。もう少ししゃくっても変化がなければ別の信頼できるジグに変えてみようと思った。

これは罰なのかもしれないと思ってしまう。釣りに行ってはいけない人間が釣りに行っている罰。最初は冗談のような思考が、徐々に真剣に捉えられていき、ワンピッチジャークをしながらも、自然に今の暗い現実のことを考えるようになってしまった。

俺は今、釣りを楽しむ資格を要していないと。だから釣れないんだと。本気で囚われてしまった。

 

 

1ヶ月くらい前のことだった。俺は初めてハローワークに行った。年齢も年齢ということで、社員採用になるための仕事を見つけようとしていた。もう30中盤を過ぎている俺はどうしても次の会社で骨を埋めるような気持ちで、閲覧室でパソコンに表示される検索欄に必要情報を打ち込み採用情報にかじりついた。

しかし、興味が持てた企業はどれも大卒というキーワードがあったり、年齢制限を過ぎていたり、俺の持っていない資格が必要だったりで、俺という人間が社会から弾かれている対象になっていることを下に下にスクロールするしていくことで知った。それはあまりにも息苦しいことだった。誰からも必要にされていないということの怖さを知った。

逆に興味はあるけれど、イチから這い上がれる魅力ある採用情報もあったけれど、自分がチャレンジして成功するビジョンをイメージすることができなかった。結局、何も得られないままハローワークを去った。

この年齢で絶望を味わうことはないと高をくくっていた俺は、今、この現実を地獄だと思った。今更乗り越えられる術のない地獄が今目の前にあった。ここにきて俺は初めて会社に甘え、会社に悪態をつき、会社にうんざりしながらも給料という名の贅沢な幇助を受け取っていたことを知った。

 

そんな俺に釣友は他愛もない最近の釣りネタを話してくる。働いてもいない俺のことを釣友たちは知らない。そのことを話したこともないし話そうとも思っていない。だから、みんな当然のように釣りに誘ってくれる。

けれども、俺の現実のげの字も何も知らない釣友が、仕事をしている釣友の人生が羨ましいと思った。知る必要はない。なのに、仕事をしてお金を稼いで釣りに全力を注いで楽しめる釣友達が本気で妬ましく思ってしまって、その罪悪感に呪われそうになる。いや、俺は呪われている。自分で自分を呪い殺そうとしている。

結局は釣りに現実逃避のような楽しさを求めて乗り込んだのに、楽しめない状況を作り出しているのは自分自身が作っているのに他人のせいにしている自分がウザくて仕方がない。

真冬の海に飛び込んだら何かが変わるのかな。死ぬことはないだろう。冬の海の冷たさや塩分を含んだ海のしょっぱさが俺の心を清らかにしてくれたらそれだけでいい。なのに、そう思っていても俺は絶対に飛び込むことはしない。挑戦すらしようともしない。そんな自分のことが嫌で嫌でたまらない。殺したくなるほど憎い。

 

俺の体から湧き出してくる汚い何かに全てが侵蝕されている頃。それは突然やってきた。

 

ボトムから4回目のワンピッチジャークが終わって5回目のワンピッチジャークの合間に確かな重みを感じた。自然と5回目のジャークがフッキングとなった。

喰った。「ヒット!」と丈二君に伝える。船上から漂っていた緩慢な雰囲気が僕のヒットを拍子に引き締められるように僕に視線が集まったのを感じた。ラインから伝わる首の振り方やドラグ音が鳴らない程度の引きから、この魚が2〜3キロの青物だと思った。

魚は底へ底へと走らず、その場で縦横無尽に走り散らしながら荒れ狂うような引きから、この魚の正体をヤズだと思い、どこか安心して「青物です」と発した言葉から「小さいです」と言葉に繋げ、「ヤズっぽいです」との言葉へ変化した。そんな感じでラインの先にいる魚との主導権争いを繰り広げつつも、そうやって仲間に喋りかけられる程度の心の余白があった。その時の俺には。

序盤はズリ巻きで楽に巻き上げられたけれど、どこかのタイミングで竿をひったくられるほどの重みがのしかかり、ラインが海面を鋭く穿つような早さで引き込まれた。穿った穴はすぐさま海面として復元されたものの、ラインと同時に引き込まれた細かな空気が沸々と泡のように海面から浮上する。その瞬間が俺の網膜に焼き付いた。

そのフリーズしたような情景が、魚が急反転して猛烈なパワーと勢いで海底へ向かって走り出した合図だったということに思考が追いついた時には、すでに魚が獰猛に首を振りながらスプールがギュンギュンと逆回転に滑り、ドラグ音が鳴り響いていた。その時点で余計な物事を考える余裕なんてものはなくなり、ヤズだと思っていた残像はいつの間にか消えてなくなっている。幻聴のような耳鳴りのようなリールの甲高いドラグ音だけが、鼓膜を伝い警戒音のように鳴り響いた。

警戒せよ。研ぎ澄ませ。

とでもリールが言うかのように、それは突然のファーストランだった。

 

一回首を振るだけで、竿を握る手とロッドエンドをホールドしている右脇ではロッドの弾性を活かすような角度を保持することができず、腰を落としてただ低く身構えるだけでファーストランを後手に耐えるだけとなり、確実にラインが引き出され潜られていく光景を見るだけがやっとだった。一瞬の隙をついてロッドの角度を上げようとするけれど、相手のパワーがドラグ設定を大きく上回り、ただラインだけが引き出されていく。

ラインが引き出されれば引き出されるだけ、いくつもの過去の失敗が頭の中から引き出されて、熱を帯びながら色彩も復元されていく。

ラインブレイクした前後の記憶やFGノットがすっぽ抜けた記憶、フッキングを忘れたことでのフックアウトやドラグ設定をきつくしすぎたことによる口切れ。その他諸々の忘れることなき悔いの数々が走馬灯のように蘇った。

 

スプールが止まると同時に後悔の回想も止まった。自然と体が反射的にロッドエンドを下腹部に当て直してポンピングの姿勢が出来上がった。しかし、すぐさま攻撃的なセカンドランが始まった。ファーストランと違うのはポンピングの姿勢でロッドの弾性を活かしながら耐えられるようになったことだけで、まだまだ俺が有利になった訳ではなかった。てこの原理でいうならば、力点として負荷が集中するようになった右手に全ての意識が集まる。

 

船上では水深の情報がリレー形式で僕の耳に届いた。さらに、海底は根も瀬もないフラットだという情報も水深のあとに届いた。けれども、今スプールに留まってくれている青色のラインを見ても、どのくらいラインが出されているのかさえ分からないくらいにテンパっている。ただ、海底に起伏がないということは、ある程度安心して引き出されても大丈夫とのことだ。

 

気がつくとタモを縦に持った丈二君が俺の横に立っていて「結構大きそうやないっすか」と話し掛けてくれている。その後ろには梅田さんが揺れるミヨシに耐えながら写真を撮ってくれていた。俺は徐々にゆっくりと冷静になっていくのが自分自身で分かった。

ゆっくりいこう。

改めて強く思った。強烈なセカンドランが止まった。気づかれないように深呼吸をして冷静さを取り戻そうと思った。

ポンピングを開始する。ロッドの角度を上げて魚の頭を上に向け、ロッドの角度を下げながらラインを回収する。その行為をゆっくりと繰り返していく。おそらく、張り詰めるラインの先には俺が待ち焦がれていた魚が待っている。

引き重りのせいだろうか、ロッドの角度を上げる時に魚が抵抗するだけでドラグ音がキンキンキンと小刻みに鳴った。今この時の主導権を渡したくはなかった。ドラグノブをとギギギと鳴らしながら4分の1回転くらい締めてポンピングを開始する。

 

今、俺という人間は数々の過去の過ちの堆積の上に成り立っている。10日前の俺が死んで、一昨日の俺が死んで、昨日の俺が死んで、今の俺はそんな死んだ俺という記憶の上に重なって俺という人間は創られて生きている。もちろん、今日の俺が死んで、その上に明日の俺が立っている。今日の俺に希望がなければ、明日の俺はどう感じるのだろうか。悔しさが涙腺を駆け抜けた。おかげで目頭が熱くなってしょうがない。

サードランの攻防をかいくぐり、魚も俺も疲弊が露わになっていく。無意識にひたすらポンピングでラインを巻き取っていく。

残り20mくらいで、船底の影が見えたのだろうか。魚は猛烈な勢いで走った。その勢いに耐えて以降、魚が頭を上に向けることが多くなり、とうとうリーダーがスプールに入った。

 

ゆっくりと螺旋階段を登るように浮上してくる魚の側面が光に照らされて、海の色よりも淡く綺麗な水色として浮かびあがる。海面に近づく度に魚の色が鮮明になってくる。あと2m。あと1m。

2,3回尾びれを振って反転しようと体の側面を見せた時に鈍く黄色い横線が光った。

間違いなくヒラマサだと思った。

 

お互いの力を使い果たし、取り込みにの際に力があまり入らずに何度か失敗してしまったけれど、魚は丈二君の網に入った。

 

ヒラマサをキャッチした後の船上ではメンバーの歓喜の声が聞こえ、その瞬間にみるみる力が抜けていく。それと引き換えに嬉しさが血管の隅々まで巡り渡っていく。

 

俺はこの嬉しさをどう伝えればよいのか分からなかった。それよりも、どう笑えばよいのか分からなかった。

笑い方を忘れた俺に、釣友たちが笑い方を教えてくれた。

笑い方を知らなかった今さっきまでの俺が今死んだ。今までの俺はもういない。

笑い方を知った俺は丈二君に膝持ち写真を撮って欲しいとせがんだ。笑いながら。