窪美澄著書、トリニティを読む。

窪美澄著書、トリニティを読む。

2019年3月30日。

その日は、switchが最も好きな小説家、窪美澄さんの新たな小説が全国の書店へ平積みされた日である。

その日、switchは仕事だったものの、どうしても購入欲を抑えることができず、忙しさのあまり、きっとすぐに読むことはできないだろうと思うのだけれど、気がつけば本屋に足を踏み込んでいて、平積みされた新作を購入することができた。(購入したせいで、早く読みたくてウズウズし過ぎて仕事が集中できなかった)

 

それが「トリニティ」という名前の小説である。

 

装画は宇野亞喜良さん。

 

この作風、どこかで見たことがあると思っていたら、椎名林檎さんのアルバムジャケットを描いた方じゃないですか!!

窪美澄さんの小説の装画って、写真が多いイメージですが今回はイラスト。めちゃめちゃ良いっす!!

 

今回は、そんな窪美澄さんのトリニティの読了感想を書こうと思います。

 

もちろん、ネタバレなんか書きません。

そもそも、本(読書)とは自身の感受性に委ねられているものです。他人(ネタバレ)の受けた感受性と自分の感受性が絶対に似ているようでどこか違っているように、他人が読んだモノが全て自分に当てはまるワケはありません。つまり、送信者側がネタバレと思っていたとしても、受信した側はネタバレではないということです。絶対に。それくらい、本とは他人(第三者)の干渉なんか一切いらずに作家と読者個人を言葉という文字を媒介に直接結びつけてくれます。

ネタバレの記事を読む人の心理を僕は否定も肯定もしませんが、それくらいに人の感受性は多様性に富み過ぎている素晴らしいものだと僕は思います。

だったら、あんたの書くブログはどうなんだと言われている気になってしまいますが、良い本を良い本だと世に少しでも知れ渡ることをしたいと思っています。それくらい、本とは素晴らしい人類の生み出した崇高なものだと思います。読了間のない頃は何気ない読了感に満たされていたとしても、その記憶はゆっくりと滴る雫のように心に溜まり、やがてそれは自分の人格の一つに組み込まれていくと思います。

なんだか、いろんなことを書いてしまいましたが、今回の読了感想を書く前に、まずは、窪美澄さんがどんな作家さんなのか紹介しようと思います。

 

 

 

2009年「ミクマリ」で第8回R-18文学大賞を受賞し小説家デビュー。

2011年、受賞作を収録した『ふがいない僕は空をみた』(新潮社)で第24回山本周五郎賞受賞、第8回本屋大賞第2位

同作はタナダユキ監督により映画化され、第37回トロント国際映画賞に出品された。

2012年、『晴天の迷いクジラ』で第3回山田風太郎賞受賞。

2018年、『じっと手を見る』で第159回直木賞候補。

(ウィキペディア参照)

 

switchが初めて窪美澄作品を読んだのは、「さよならニルヴァーナ」という小説ですが、物語のインパクトと並行して「性」の描写が激しく・・小説家デビューを飾った「ふがいない僕は空をみた」のミクマリ編の性描写も激しくて・・それだけでも引き気味になる読者の方もいるようですが、性描写を艶めかしく書かれているのではなく冷静に淡々と書かれているので、エロい!というイメージはなく、「性」は性でも「生」の方が強い「性」を書ける作家さんです。

元、フリーランスのライターをしていたそうなので、どの作品もどんな刊行順に読んでも書き方に揺るぎない安定感があって、読みながら主人公の見る風景や人の表情などの視覚的要素を追体験するような感覚になります。さらに、そんな風景描写の忠実性もさることながら、人の言語化されにくい感情の表現までもが忠実に書くような作家さんなので、作品を通じて自分の過去の嫌な記憶をリアルに蒸し返されるような、そんな瘡蓋をむしられるような言葉を真正面からまっすぐに書ける作家さんです。

 

窪美澄さんの単行本を全部読んでいるswitchの感想ですが、「生」と「性」をメインにした作品が多く、人間の生きづらさ・生きるとは、貧困や生い立ち、ジレンマや葛藤、差別や妬み嫉みなどの生きるうえで必ず伴うような、そんなテーマを題材にした小説が多く、それでいて主人公が大成していくようなこともなく、ただそこには「生」がある、平坦な「生」が待ち受けている。そして、読了後には大きな力で満たされているような感覚を味わえる。そんな小説を書ける作家さんです。もうswitchにとっては、それがどんな作家さんの小説よりもドストライクで、崇拝の類に似た領域に窪美澄さんは僕の心に存在します。

 

また、2018年の「じっと手を見る」という作品が直木賞候補になった時は、それはとても嬉しいことで、しかも、窪美澄さんと同じくらいに別な意味でファンである森見登美彦さんの「熱帯」も直木賞候補になってしまって・・森見先生はさておいて、あー窪美澄先生がとうとう全国に認知されたのかぁーとファンとしては寂しさを伴いながらも嬉しさが倍増・・結果は両先生とも直木賞受賞には届きませんでしたが、switchには物凄い感動を両先生は届けてくださいました。

そんな「じっと手を見る」の次に世に生まれたのが、「トリニティ」という作品になります。

 

 

あらすじ

 

ざっくりと説明すると、

私の代わりはいくらでもいると思いたくないと思いながら消耗していくイラストレーターの妙子、

物書き三代目にして女性らしさを謳歌するフリーライターの登紀子、

普通の生き方を望む出版社のOL鈴子、

の三人が昭和・平成という時代を生きた中で、人生を賭けて求めたものに対しての物語です。

家族・仕事・生き方。日常に付き纏うたくさんの選択肢の中で彼女たちが何を優先し、何を排斥し、何に寄り添って生きてきたのか、それぞれ3人の人生が窪美澄先生の感性によって一つの物語として綴られています。もう、それが凄すぎて・・。

とにかく、それぞれ別々の生い立ちや生き方の中で、それぞれの人生が混じり合い、別々になり、やがて迎える女性の生きづらさや女性の時代背景などを描きつつも、人生の終焉までを綴った物語です。

帯にも書かれていますが、トリニティとは「かけがえのない三つのもの」という意味だそうです。

 

 

読了感想

 

窪美澄先生の作風が、「性」と「生」を使いながら物語を綴る作風であるならば、トリニティは、その作風はそのままに「生」の勢いを爆発させており、読了後、今を生きているswitchではありますが、強く生きたい!と思ってしまっています。

今作品は特に熱量が凄く、次回作も楽しみにしているswitchにとっては、トリニティ以降しばらく本を書く気になれないんじゃないかと思ってしまうほど・・。

 

大変なのはその先だ。モチベーションがゼロになってからの闘いのほうが長いのだ。

 

終わっていくもののなかには、自分も含まれているのじゃないだろうか。

 

ほとんどの人が一週間で読み捨ててしまっても、そのなかの誰か一人がこの記事おもしろい、と言ってくれれば、それだけで自分の仕事は報われる。

 

後部座席に座る妙子の顔から笑顔が消えたとき、あの人の闘いは再び始まっているのだと。

 

というような、苦労とそこから生まれる絶望を体験した人にしか味わえない言葉がたくさん散りばめられていました。鬼気迫るといいますか、命を削ってやっている。そんな気持ちを妙子や登紀子を通じて、窪美澄先生本人が叫んでいるように思ってしまいました。

 

 

読んでいて印象的だったことが、妙子・登紀子・鈴子の三人が全く違うタイプだということ。それによって、それぞれのあったかもしれない人生を夢想していく日々の連鎖と現実の三人の人生を読むことによって、自分自身も抱えているあったかもしれない人生を浮き彫りにさせられていきます。

昭和時代を生き抜いてきたswitchではありません。なので、昭和時代のことを懐かしむことはできませんでしたが、昭和という時代の生きにくさや熱量感を眩しいくらいに感じ取ることができました。

中盤から終盤はもう前のめりでページをめくるほどに引き込まれました。

終盤はもう、心が震えて震えてとまりません。

この感覚、この読了感。これぞ窪美澄先生の作品に強く付き纏うものです!

とにかく今、switchは満たされております。

明日も仕事、惰性と緩慢が続く日々の連続で、ふと考えればもう一つの選ばなかった選択を後悔する日々のなかで、僕はまた生きていきたい。生きていることさえできれば。そう思える作品「トリニティ」でした。

 

出会いから生まれる何かがつながって続いていくことに気づいて。

switch